本日(20日)、放映されましたNHKスペシャル「ネットが”革命”を起こした~中東・若者たちの攻防~」を観ました。
チュニジアに端を発した市民による反政府革命が長年続いた独裁者による政権を転覆させ、それがエジプト市民にも伝播し、エジプトでもムバラク大統領がその職を辞任するという事態に至り、さらにはモロッコ、アルジェリア、リビア、スーダン、ジブチ、ヨルダン、シリア、イラク、クウェート、サウジアラビア、イエメン、オマーン、イラン、バーレーンという北アフリカ・中東のアラブ諸国14ヵ国(計16ヵ国)(アラビア語圏26ヵ国)にも広がっております。
これまで、これらの国々の人々は強権的な長期政権にうんざりし、諦めや無力感の中で政府を風刺するマンガや笑い話で憂さ晴らしをするに留まっていました。
そこに風穴を開けたのが銃でも爆弾でもなくfacebookです。
エジプトでは通常のメールのやり取りやホームページは検閲され政府の監視下にありました。
ではなぜfacebookのように本名で投稿するサイトが政府の監視を逃れられたのか?
実はfacebookはプロバイダーを通過する前に情報を暗号化する機能を備えています。
そのことにより政府は容易に検閲することが出来ません。
また、facebookでは情報を共有する相手を限定することが出来ます。
許可した特定の人しか見られない特定のページを作ることが出来ることは、デモを呼びかける格好の道具になりました。
デモの中心になったのはチュニジアでもエジプトでも20代の若者です。
彼らの不満は貧富の差の拡大と仕事に就けないことです。
facebookを使ったデモと運動、そして政権転覆に至る過程では、ネット上での政府との攻防がありました。
エジプトは秘密警察を使ってインターネットの取り締まり、情報の寸断に動きました。
インターネット上に仲間を装うスパイを送り込みハッキング技術によりパスワードを入手し、仲間に成りすましたり、成りすましたメンバーそのものの登録を消したりしました。
しかし活動家達はfacebookの登録を抹消されると、負けじと新たに登録するという人海戦術で対抗しました。
政府はそれでは間に合わないとなると、さらなる強行手段として政府の統制化にある4社に限定されるプロバイダーに指示し、インターネット回線そのものを遮断しました。
最早、その段階ではデモの情報は人々に広く知れ渡っており、功を奏しませんでした。
そうした中、海外では政府によるインターネット遮断に対する批判も高まり、米Googleはネットを遮断されたエジプト市民がネットを使えるように電話回線を使ってインターネットに接続出来るようにする支援を表明しました。
またエジプト政府にサイバー攻撃をしかける謎のハッカー集団「アノニマス」も登場し、エジプト政府のコンピュータを停止させる為に、世界各地から大量のデータを送り続け、さらには政府の機密情報を盗み出し、それを暴露しようとしました。
結果、エジプト政府はインターネット遮断から5日後には遮断を解かざるを得ませんでした。
エジプト政府はムバラク大統領が9月の任期満了を待って辞任することを発表することで、事態の収束を図りました。
一旦、デモが鎮静化しそうになる中、秘密警察が活動家数名を拘束し始めましたが、人権団体の強い働きかけで3日後に解放されました。
そして活動家達はムバラク政権に1日たりとも猶予を与えてはいけない、交渉には応じないというメッセージを送り続け、一連のデモで犠牲になった300人の人達の情報もfacebookで流れ始め怒りが広がって行きました。
結果、デモが再び勢いを取り戻し、エジプトでのfacebook利用者が500万人(全人口の6%)に達しました。
軍も「デモに参加する市民を決して傷つけない」と表明しました。
人々は議会や銀行など重要な施設を人が取り囲み、国のサービスがすべて停止しました。
最早、政府はその動きを止めることは出来ず、ついにムバラク大統領は辞任に追い込まれました。
これがエジプトの政権転覆に至る経緯です。
以上、皆様のお役に立てば幸いです。
投稿者:株式会社コストダウン 日時:23:22 | 記事URL