トヨタ自動車 最高顧問 豊田 英二氏が17日、任天堂 相談役 山内 溥が19日にお亡くなりになり、両社の歴史や体質に目が止まります。
任天堂 第三代社長 山内 溥氏
山内氏は業績が良好なときもおごらず、山の後に谷が来ることを常に意識していた。ゲーム機の生産は外部に委託し、余計な設備は持たなかった。分厚い内部留保を積み上げ健全な財務体質を保つ思想は、今も引き継がれている。
これは山内氏の若い頃の失敗の経験が生きた。(9月20日 日経電子版より)
「多角経営による経営難」(Wikipedia 「山内溥」より)
1958年にアメリカ最大手のトランプ会社であるU.Sプレイング・カード社の工場とオフィスを視察に行った際、最大手であるにもかかわらずオフィスの規模が想像以上に小さかったことに衝撃を受け、「トランプだけではちっぽけな会社で終わってしまう」と悟り、多角経営の道を探ることになる。
親戚にタクシー会社の経営者がいたことから、1960年にダイヤ交通株式会社を設立したのを皮切りに、1961年には近江絹糸と共同出資で三近食品を設立し、いずれも代表取締役社長に就任。
その他にも任天堂本社でも他業種に進出したが、ノウハウ不足などによりことごとく失敗。
更にトランプブームが一段落付いた1964年に任天堂は一転倒産危機に直面することになる。山内は1965年に三近食品、1969年にダイヤ交通の経営から手を引いた。
トヨタ自動車 第三代社長 石田 退三氏
『無駄をとことん嫌い、無駄なお金を一切使わなかったといわれる。
これはトヨタの危機の際に累積赤字が蓄積し銀行に融資を断られたという苦い思い出があり、「自分の城は自分で守れ」と、内部留保をとことん増やして自前で必要な機械などを買うというやり方を行っていた。
この方針は現在でも受け継がれ、トヨタは「トヨタ銀行」と呼ばれるほど内部留保を多く持っている。
社長在任中は「けち」に徹し、紙も裏まで使い、鉛筆も短くなるまでとことん使ったという。こうした節約でトヨタは無借金経営となり、現在まで続く優良な財務体質の基礎となった。』(Wikipedia 「石田退三」より)
以上、皆様のお役に立てば幸いです。
投稿者:株式会社コストダウン 日時:06:39 | 記事URL